「ほどほどに」は、たぶん間違っている

2026-08-23
Moderation assumes a control you don't have
出典: “Everything in Moderation” is flawed
誰でも一度は言われたことがあるはずだ。
「何事もほどほどにね」
たいていは、体に悪いとされる何かの話をしているときに出てくる。
「やりすぎなきゃいいんだよ」
でも、これは実際のところ何を言っているのだろう。
要するに、だいたい正しいことをしていれば大丈夫、という話だ。
食べ物で考えてみる。
週に何回か菓子を一袋。それくらいで何かが壊れるわけがない。
仕事帰りのビール数杯。まあ、そんなものだろう。
そこについては、私も同意する。
普段の生活がまともなら、体に悪いと思っているものをたまに口にしたところで、人生が終わったりはしない。
ただ、問題がある。
「ほどほど」とは、どれくらいのことなのか。
「だいたい」とは、何割のことなのか。
五割を超えていればいいのか。
もしそうなら、悪いと自分でも分かっているものに対して、ずいぶん寛大な枠を用意していることになる。
だが、もっと根本的な問題がある。
「ほどほどに」という言葉は、自分がその対象を完全にコントロールできるという前提の上に立っている。
これは、はっきり言って無理がある。
ほとんど、思い込みと現実逃避に近い。
思い出してほしい。「一個だけ」と言ったときのことを。
それが二個になる。
三個になる。
気づけば十個空いている。
そこで何が起きていたのか。
考えていない。意図もない。それが全てだ。
菓子の話に戻る。
一袋の中には人工香料、精製糖、異性化糖、その他よく分からないものが詰め込まれている。人間の感覚に対して、あれはほとんど麻薬のようなものだ。
止まらなくて当然なのだ。
そう考えると、「ほどほどに」という発想自体が、少し滑稽に思えてこないだろうか。
そういう理由もあって、私はこの手のものを完全に断つことにした。
一度も味わっていないものは、恋しくならない。少なくとも、忘れてしまえば同じことだ。
そもそも、私はもうそういう作られた快楽を欲しいと思わない。
酒は一年半ほど飲んでいない。
菓子を最後に食べたのがいつだったか、思い出せない。
自覚しているからだ。
人は、悪いと分かっているものに理由をつける。現実を受け 入れるより、自分に嘘をつくほうが楽だからだ。
だから私は、依存症が理解できないという人を見ると、いつも不思議に思う。
私にはごく単純な話に見える。依存症になろうとして始める人間は、ほとんどいない。試して、気に入って、止まらなくなった。それだけだ。
坂道は、いつも緩やかに始まる。
菓子も酒もタバコも、合法だというだけの理由で「ほどほどなら問題ない」ということにされている。
これは言い訳だ。
いちばん確実なのは、そこから降りてしまうことだと思う。
本当に気分が良くなることをすればいい。
悪いと分かっているものに対して、「どこまでなら許されるか」と問うのはやめよう。
問うべきなのは、「そもそも、なぜ自分はこれを口に入れているのか」だ。
健全な付き合い方とは、案外「ほどほど」ではないのかもしれない。
大丈夫、できるはずだ。