貧しさは、なぜ高くつくのか

2026-07-27
The cheaper option is rarely the cheapest one
出典: Is Being Poor More Expensive Than Being Rich?
今日の節約が、明日の大きな出費になることがある。
職場の同僚たちが、夏が来ると「服を買わなきゃ」と言い、冬が来るとまた同じことを言う。それを聞くたびに、私は不思議に思っていた。
どうして季節が変わるたびに新しい服が必要なのだろう。私はそう感じたことがない。
寒くなる頃には、あちこちで衣類の寄付が呼びかけられる。それを見るたびにも、同じ疑問が浮かんだ。去年寄付されたコートや厚手の服は、どこへ行ってしまったのだろう。なぜ翌年まで持たないのだろう。
我が家には、三十年前の毛布やコートがまだある。丁寧に使ってきたおかげで、今も問題なく着られる 。
そこで私は、少し立ち止まって考えてみた。
同じような物を買っているように見えて、人によって支払う総額はまるで違うのではないか。
気のせいでは済まない話
貧しさには、残酷な逆説がある。お金が少ない人ほど、結果的に多くを支払ってしまうことがあるのだ。支払うその瞬間ではなく、時間をかけて。
二人の人を思い浮かべてほしい。
一人は一万五千円の靴を買える。もう一人はそこまで出せず、五千円の靴を選ぶ。
前者の靴は十年持つ。後者は一年ごとに買い替えることになる。
十年後、お金のない側は五万円を払っている。余裕のある側の三倍以上だ。
けれど、本当に気にかかるのは金額の差ではない。
その十年間、一方は履き心地のいい、しっかりした靴で歩いていた。もう一方は質の劣る靴で、雨の日には足を濡らし、歩くたびに小さな不快を我慢していた。
つまり、こういうことだ。
値段だけを見ても意味がない。それが実際にいくらかかるのかを考えなければならない。
ヴァイムズの「ブーツ理論」
自分が気づきかけていたことに、すでに名前がついていると知ったのは、そのあとだった。
作家テリー・プラチェットが小説『Men at Arms』の中で、サム・ヴァイムズという人物を通して示した考えだ。要するにこうである。お金のある人は長持ちする良い物を選べる。ない人は安い物を選び、何度も買い替えるしかない。
これはブーツだけの話ではない。
節約のつもりでした小さな選択が、あとになって高くつく。そういうことは、日々の暮らしのあちこちで起きている。
安い食事は、お金のない人にとって唯一の選択肢であることがある。しかし選べる食事が限られていれば、その代償はいずれ別のかたちで支払うことになる。
家賃が安いからと遠くに住めば、通勤に長い時間を取られる。交通費、燃料代、車の消耗が積み上がり、家族と過ごす時間も、休む時間も、学ぶ時間も削られていく。
分割払いにすれば今日は手が届く。けれど利息が価格を押し上げる。
安い家電はお買い得に見える。壊れて買い替えるまでは。
こうして、目に見えない「貧困税」のようなものが生まれる。
これは国が徴収する税ではない。より健康的で、より効率的で、長い目で見ればより安上がりな選択をするだけの余力がないこと。その差額そのものが税なのだ。
だから貧しさとは、単にお金が少ないことではない。
質を選べないことでもある。
意識して選ぶということ
そう考えるようになってから、消費の仕方には別の道があると思うようになった。
貧しさとは、お金の不足だけを指すのではないのかもしれない。資源を節約できる選択肢そのものに手が届かないこと——それもまた貧しさなのだろう。
そしてここで、少し居心地の悪い問いが立ち上がる。
私たちの日々の選択は、本当に豊かさへ近づいているのだろうか。それとも、次の月まで生き延びるためだけのものになっていないだろうか。
選択が未来をつくる
持つ物を減らし、選び方を良くするほうが賢明なときがある。質の悪い靴を五足持つより、優れた靴を一足持つほうがいい。
流行に合わせて買うのをやめ、丈夫さや使いやすさ、そ して自分に本当に合うかどうかで選び始めると、クローゼットや部屋は「通り過ぎていく流行の保管場所」ではなくなる。
そこには、自分自身が映るようになる。
何が大切かをSNSに決めてもらう必要はない。
今あるものを手入れすれば、それだけ長く使える。ごみも減る。
本当に使う物だけを買う。それは、お金を守ることであり、心の平穏を守ることであり、そして自分の自由を守ることでもある。